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上溝市場の由来

上溝市場 -上溝公民館資料より-

明治3年(1870)6月25日、上溝村小前役人総代として組頭清八が神奈川県に対して「月六度立市願」を提出しました。その内容は次のようです。

「上溝村は村高998石余、家数360軒余りであり農間の商人も多く、また近村の村村から上溝村へ諸品を買い求に来る者も多い。安永(1772)の頃までは月六度市立「六斎市)されていたと言い伝えられて来たが、 その後六斎市は開かれずして今日に至ったが、上溝村近在には市場はなく甚だ不便の土地柄である。そこで最寄村村の便利の為、毎月3、7の日宛に六斎市を開き、諸品を売買するようにしたならば上溝村の潤いになることは勿論のこと、 近在の村村も至って便利になるので旧市を復活して毎月3、7の日市立し、織物なども市日に売買したい。市に対する税金は前に上申したようあるが、このうえより精を出し、増税のうえ上納するので六斎市の開設許可をねがいたい」(上溝中村眞次家文書)。

次いで同年8月に至り、上溝村組頭清八をはじめ磯部村、当麻村、下九沢村、下溝村、田名村、大島村など7か村名主連名によって再度市場開設願いを上申しました。
この8月願書によると、市場設置の理由は、
1、最寄に市場がなく、そのため
2、農繁期に至って農具や肥料、莚、菰その他必需品を買う場合、理数の隔たった市場へ峠越えしなければならず、
3、特に養蚕の季節で桑や茶などの売買にはより遠方の市場へ夜通しして行かねばならず、農繁期にはその仕事に大きな支障をきたします。それに加えて、
4、幕末以降相模野の株場開発が進み、その地域も上溝村に市場が出来れば非常に便利となり、桑や茶などの仕付も行き届くようになることは必至である。 といっています。

ここでいう1、2の市場とは農業生産の為の日常生活の必需品を購入する市場を、また、3の市場は養蚕に関して八王子あたりのことを言っていると思われますが、要するに上溝村を中心とした商業圏の形成を意図しているわけです。
この願書を提出した3ヶ月後の11月22日、県から市場開設の認可があり、12月27日佐藤太右衛門、佐藤久七、佐藤清八、榎本儀兵衛を開設総代人として「上溝市場」は開業しました。 生糸、繭を中心とした上溝の市は、日本の開国にともなう爆発的な生糸の輸出によって横浜を中心とした新しい流通路が開始され、従来の八王子、江戸への流出にかわって横浜の貿易商人との取引が始まったことがしられます。
上溝の市に集まった糸を、糸商人たちが買い上げて、これを横浜の貿易商人に売るといふ新しい市場が開拓されたのです。 養蚕業の発展とともにこの取引高は年をおって増加し、開市した年は800円あったが、9年(1876)15万円、11年(1878)20万円と暫次向上し、昭和7年頃もっとも盛んでした。なお、上溝市場は、昭和16年ごろまで開かれていましたが、 物資統制強化に伴い廃止されました。


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上溝市場の記念碑

記念碑 上溝市場開設50周年を記念して建てられた石碑が本町自治会館広場に芭蕉の句碑と並んであります。

上溝市場は、明治3年(1870)に開かれました。毎月3と7のつく日(月に6回)に開かれて、「溝市」と呼ばれていました。当時この地方は養蚕が盛んで上溝に蚕糸関係の取引所が多くありました。

「市」は本町通り(旧国道129号線)の路上(道のまん中に溝が掘られてあった)に巾6メートル、長さ約300メートルに店が背中あわせに並びました。店の種類も日用品から農機具、種苗、衣料品までさまざまで、特に7月のお天王様の前や暮れの大市には近くの町や村からも大勢の人が集まって来て、大変賑わいました。

子供たちも大人の人に一緒に連れてきてもらい、用事の済むのをまって、帰りにはおみやげを買ってもらっていたと言うことです。業者は八王子や町田方面からもたくさんの品物を持ってきていたそうです。

昭和に入り戦争がはげしくなり、やがて市場は廃止されました。


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